「遁生レコードの世界」は私、運営者アダチが「狂気・繊細・暴力・内向の同居する音楽を模索する」なるお題目を掲げ、私が一員でありますブランの活動に関します情報発信、その他音楽ネタにこだわらず長文駄文をお届けする私的サイトであります。
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【What's Newと諸々】
11月8日/何となく思うところ


11月8日(木)
  
今週末のライブが今からとても楽しみでたまりません。ヰタセク、そしてエンジぇリンのナカオさんという関西の濃い〜どころと我々との共演。ある種大阪のイベントに招かれているようなわくわく感がございます。お客さんとしても楽しみですし、すごい自分らがイベント総体の中で活かされるような予感がいたします。ライブイベントって、そしてライブハウスって本来こうあるべきだよなぁ、何てことも思ったりもします。

「SOS」のインタビューでも書いたことなのたけれど、「ライブハウス」という場はメディアたるべしと思うのです。「こういう音楽をウチとしては発して行きたい」という明確な指針があって、そこに演者が集まってきて、「ウチとしてはこう云う切り口でバンドをパッケージンクしてイベントとしてブッキングしてます」ってものが見えなければ、お客さんだってライブハウスに寄っては来ないと思うのです。バンド単体の人気に頼るのならば、それはバンドのお客とはなりますが、ハコというか「場」のファンにはなりえないと思うのです。「今日も何かやっているだろうから、ちょいとあそこ覗いてみようか」といったことにはなりえないと思うのです。

それがあれば「バンドを育てていこう」という土壌なり雰囲気がハコ側としてもお客さん側としても生まれてくるだろうし、もし音楽表現を行うということがひとつの文化として成立しえるのだとしたら、それは非常に健康的な世界だと思うのです

青いですね。臭い話ですね。なかなかそうは行きませんね。

でもね、例えばひとつのライブイベントがあって、友人だとか義理堅い方々がお忙しい中足を運んでいただいて、自分の身内のバンドだけ見て帰るって話がよくあるじゃないですか。それを「最近のお客はダメだ」ということは簡単なのだけれど、同じ、数バンド見れるチケットなり権利を渡していたり、得ていたりするならば、全体のイベントとしてお客様に楽しんでいただける場としなければならないし、そういった意識で演者側も臨むべきだと思うのです。それはハコの意識、演者側の意識、そしてお客様側の意識全てが関連してくる話だと思うのだけれど。。。

演者側の意識ということだけで考えてみれば、よく「自分が納得できる音楽が出来ればそれでよい」みたいな話があるけれど、そんなもんは大前提の大前提であって、それが他人からお金取って聴かせるところには決して繋がらないと思うのです。ひとりで部屋で叫んでいても良いって話です。泣いていれば良いって話です。自分が納得出来る音楽をやって当たり前、それを他者と相対した時にどう提示するか、どう聴かせるか見せるかってところだと思うのです。

酔ってマシンに向かって饒舌になってとりとめもないことを書いておりますが、そんなことを思いながら日曜日を大変楽しみにしておりますし、精一杯やらせていただこうと考えております。

チケット予約、続々と頂戴しておりまして心より感謝いたします。
まだお席の余裕はございますので、何卒宜しくお願いいたします。



(C)TONSEI RECORDS