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平田 徳雨 中途2/5_99.8.10.
(シノワ) gq6a-hrt@asahi-net.or.jp


■西村知美
【一】
私の音楽ルーツにおける一つの源流は間違いなく歌謡曲である。幼少時代に特に音楽教育を受けたわけでもない私は、そういう身近な音楽、いわゆるポピュラーミュージックから「音」に対しての興味を持ち、そして泥沼化していったのでした。

今でも歌謡曲は大好きなのであるが、今から約12、3年前に最高に歌謡曲に入れ 込んだ時期があった。こういえば、少しかっこいいが、実はディープな「西村知美」ファンだっただけである。

一人のアーチストの音源をすべて所持したくなり、実際にそのすべてを手に入れたのは「西村知美」が初めてだった。当時の私の部屋は壁から天井まで本気で「西村知美」一色であった。そして、そういう空間のなかで体育座りで、「西村知美」を市販音楽ソフトとしての「カセットテープ」(当時は東芝の「ウォーキー」という、チープなウォークマンしか音楽ハードを所有していなかった。)で聴く中学生の姿は今から考えればヒリヒリするが、またそれも「泥沼音楽道」への過度期であった。

【二】
私は、今でも「西村知美」の初期シングル曲は歌詞を見ずとも余裕で唄えるし、それを筆記することもできる。これは自慢であり、(かなりの)特殊技能でもある。


デビュー曲である「夢色のメッセージ」(犬の映画「ドン松五郎の生活」のテーマソング)。松本隆作詞の「十六粒の角砂糖」(これは西村知美の十六歳の誕生日に捧げられた曲)。名作感動サッカーアニメ「がんばれ!!キッカーズ」主題歌の「君は流れ星」(これは皆様も御存知では? *数年前に留守番電話の留守メッセージのバックサウンドにこの曲を使用したところ、実に不評であった)。

そして細野晴臣作曲の微妙にテクノポップな「天使のゆびさき」(当時、不思議なメロディーを持つサビに驚いた)。また10枚目のシングル「サクラが咲いた」(「振り付け」付きで唄うことが可能である)。これら「西村知美」の素晴らしき歌声、そのすべてをあげればきりはない。

私が「西村知美」に入れ込み出したのはその歌の魅力からであった。現在でも「西村知美」の顔は特に好みというわけではない。
無数のポスターやブロマイド、雑誌の切り抜きには「西村知美」の「歌」を求め、そして聴こうとしていたのだろう。とはいえども、こう冷静になれるのも大人による斜に構えた視点からなされたもので、実際のところ当時はかなりやばかった。歌も良ければその人も好きになるってもんで、それがまた「アイドル」だったから非常にタチが悪かった。

【三】
当時、月〜金までのPM10時45分から「西村知美」がDJをつとめていたラジオ番組「西村知美のキュートに初恋」があった。無論私は日々欠かさず拝聴し、ROMっていた。

なにを隠そう。私はその番組で「トロリン」(マニヤはこう呼ぶのだ)にハガキを読んでいただいたことが有るのだ。そして番組中にハガキが読まれた選び抜かれし者のみにその入会が認められる、「キュート会」という、「トロリン」マニヤ以外はまったくどうでもいい、(番組内の企画の)会の会員にもなっていたのだ(「キュート会」に入会するためには、自ら考え投稿した「キュート会」の規則が、「キュート会」のコーナーで採用されなければならない。ちなみに私の考えた規則とは、「トロリン関連グッズを扱う前は必ず手を洗うこと」というような、マニアにしか思い付かないようなネタであった…)

また、ペンネームも公開したいところだが、(過去のこととはいえども)公開すると私の全人格が疑われる可能性が大であるので、公表は避けておくことにする。

「キュート会」入会とは、他の「トロリン」マニアに差をつけるためのいわゆる「優越感」の論理であった。だって「トロリン」本人が番組中に「○○さん。あなたを会員番号○○番に認定します!」と直にいうのですから。ファンクラブならだれでも金を出せば入れるが、「キュート会」にはその血と涙の努力がもたらす儀式を通過しないと入会することができないのだ(いったい何通のハガキを書いたことか・・・)。

私は「キュート会」入会の栄光を誰にも自慢はしなかった(今考えれば理解者がいなかっただけ)。いつもの一面「トロリン」な部屋で体育座りのまま、拳を握りつつ、「クックックッ・・・」と顔をくしゃくしゃにして喜びをかみしめるだけであった。しかし、それは最大の歓喜の表現だったのであろう。

アイドルとは常に自らとマンツーマンであるものなのです。アイドルは我が心のなかにのみ生きるものなのです。私にとっての「キュート会」とは、私と「トロリン」のみが共有していた「秘密の合言葉」の「メタファー」に外ならなかったのです。

そして番組に自作自演の会員証を作成して送ったところ、なんと、それが「トロリン」のサイン入りで返送されて来た!まさに人生の勲章(勲一等レベル)の一つであった。

その時、「トロリン」には本当に熱い(イカ臭いとも)メッセージを同封しておいた。恐ろしいほどの自己アピールをしておいたのである。「僕は○○中学○年○組出席番号○番の〜」と始まり、好きな音楽(ここではいうまでもないであろう)、部活、家族のこと、はたまた思春期の悩みなどをびっしりと書いて送ってやったのだ。

私のメッセージに対する「トロリン」からの返答は、自作自演の会員証に記されたサインの横に小さく書かれた「がんばってくれたまえ」との一言であった。いまから考えれば、「あっさりかわされた。トホホ・・・」というカテゴリーのものでしかないが、思春期の中学生にとってはどれほどの意味を持つものかは言うまでもないであろう。

現在では「さんまのからくりTV」などでボケボケキャラクターを世に知らしめている「西村知美」であるが、当時は激マジアイドル路線を貫徹していた。
恐らく無理して必死だったのだろうな。しかし、その「がんばってくれたまえ」の言葉には現在のボケぶりの片鱗がうかがえるようである(この感覚は皆様に御理解いただけるだろうか?)。

【四】
以上は第一回目にハガキが読まれた時の話である。ハガキが読まれたことですっかり気分を良くし、さらに「トロリン」に近づきたく、それからも気合の入ったハガキを送りつづけた。

そして、待望の第二回目のハガキが読まれた。しかし運が悪すぎた。な、な、なんと寡作的に適当に書いてしまったハガキが読まれてしまったのだ!なんたることだ・・・(そのハガキの内容は今でもはっきりと覚えているが、さすがにその内容には触れられない。ただ、「痛すぎ、寒すぎるネタ」とだけ告げておこう。)ラジオからも「このハガキの意味よくわからない〜」という「トロリン」の声が聞こえた。まさに悪夢だった。その時から投稿からは足を洗うことになるのであった。

以上を収録したテープが実はまだ私の手元に保管されている。しかし、今は聴けない。哲学的な意味で…。

【五】
投稿から足を洗った私は、その後ゆるやかに気持ちが変わっていった。それは「ロック」との出会いであった。しかし、「ロック」が好きになってからも「西村知美」の音楽はしばらく聴いていた。

私が完全に「トロリン」をノスタルジーと感じるようになるまでには、3段階の 止揚が必要であった。


■ボヨヨンロック
【序章】
私の「俺ロック史」において「西村知美」の次に起きた大事件は「日本のインディーズ」であった。
前述の「西村知美」の、無念のラジオ事件の後、私の興味はゆるやかに他の音楽へと移行し始めた。

【一】
まず「TMネットワーク」が来た。私と同世代の人間ならば、誰もが経験したであろう通過儀礼であった。私もその中の典型的な一人であった。周りの誰もが聴いていたから音源も手に入れやすかったのだ。

アルバム『セルフコントロール』はかなり好きで聴きこんだが、商品としての音楽ソフトを購入するまでにはいたることはなかった。その時点においても、自発的に消費活動を行うのは「西村知美」オンリーであった。

【二】
その次は「BOOWY」であった(いうまでもないことでしょうが、左から三番目の「O」の字は正しくありません)。これも周囲はほとんど聴いていたな。
私の通っていた中学はヤンキーの多い学校だった。つまり、『モラル』での反逆的な歌詞が受けていたというわけだ。そのヤンキーが寄り集まり「モラル」を大合唱していたことをいまだに鮮明に記憶している。

アルバム『モラル』は大名曲「NO N・Y」(この曲は今でも大好き)が入っていたりと、「TM」同様に聴きこんだが(そのころのわが家には、あまり音楽ソフト選択の余地がなかった)、「BOOWY」もその他のアルバムはあまり好きではなく、すぐに冷めてしまった。

やはり、「トロリン」のスフィスティケイトされた声が織りなす、絹目のような曲(!)の方が好きで、まだ、そのころは「ロックはうるさくて野蛮なものである」との認識が頭の片隅にあった(いつの世代の感覚だ?)。

【三】

しかし、こういう価値観を一掃し、私にロック観を強烈に植えつけた記念碑的アーチストが出現した。それは「カステラ」であった。ロック好きな友人から回ってきたそのテープ、初めは軽い気持ちであったのだが、一聴してとんでもない感覚に襲われたことを強烈に記憶している。

まず耳に飛び込んできたのはその「歌詞」であった。「ビデオ買ってよ」とか「兵隊さんになりたい」、「毎日」などの、ごく日常的なたあいのない、換言すれば「面白い歌詞、バカバカしい歌詞」がとんでもなく強烈だったのだ。

「西村知美」のような「愛」とか「夢」とかをテクニカルタームとした歌詞、「BOOWY」のような反逆的な歌詞、それ以上のインパクトが「カステラ」の歌詞にはあった。
また、そのスカスカでシンプルなサウンドもまた衝撃だった。「西村知美」や「TM」のような作りこまれたような音ではなく、その素人っぽさに親近感を覚えたのである。
こういう音楽があったのか・・・と、自分のなかでとんでもない革命が起こったのであった。

「カステラ」はそのインパクトから間もなく買いに走った。その時、まだカステラは自主制作版しかリリースしていなかったため、インディーズを扱う店にしか置いていなかった。しかし、私の地元にはそういう店が一件だけ存在していた。

現在「I・S・O」、その他諸々のユニットで活躍されている、「一楽儀光」氏が経営される「DISK BOX」という素晴らしいレコード屋である。

私が借りた「カステラ」のテープのマスター所有者は、小学校からの友人「ハセベ君」だったことを知った。「DISK BOX」の情報や「インディーズ」の意味などは、私と「ハセベ君」の仲介的存在に位置していた「ノムラ君」を通じて入ってきていた(「カステラ」をまわしてくれたのも「ノムラ君」だった)。

「カステラ」は購入した初めての「ロック」であった。それは、中学2年の時であった。
「カステラ」は当時の私にとっては強烈すぎた。まさにエンドレスで毎日聴いた。吐くまで聴いた。私は「カステラ」と同類の音楽をもっと聴きたくなった。

【四】
私は再度「DISK BOX」に行き質問した。「何か歌詞の面白いバンドはないですか?」と。
そこで薦められたのは、ナゴムレコードのオムニバス「おまつり」(「カステラ」も一曲参加。あと、有名になる前の「たま」の「さよなら人類」も入ってた。
)と、あの関西在住現役教師から成る「餃子大王」であった。
当時は一気に「ロック」のレコードを二枚も買うなんて大人の領域だった(その時にはレコードプレイヤーを購入していた。むろん西村知美の7インチを聴くためであった)。もちろんその二枚は死ぬほど聴いた。いやになるほど聴いた。(昨年、ベアーズで「餃子大王」を見た。対バンは「LSDマーチ」(!)であった。その時、楽屋に行って、そのレコードにサインをしていただいた。いろんな想いが込みあげてきた。)

【五】
そういうインディー音楽に興味を持ち始めた時に出会ったのが、当時定期購読していた『CDでーたー』という雑誌(まだあるのかな?)にあった、「インディーズ」特集の記事であった。

『CDでーたー』は一般音楽紙であるため、「メジャー予備軍としてのインディーズ」というものを主眼とした記事であった。インディーズの起源、日本三大インディーバンドなどの特集などがあった。私は毎日そのコーナーをくり返しくり返し読んだ。そこにはインディーズ名作レコードの紹介がしてあった。

そこに「これぞインディーズの醍醐味!」と評された一枚のアルバムがあった。
それは「ボアダムズ」の『恐山のストゥージス狂』であった。現在ではいわずとしれたボアダムズの1STアルバムであり、近年の再発前は数万円のプレミアがついていたレコードである。

私はこの「これぞインディーズの醍醐味」という言葉にすっかり言葉を奪われた。同時期に買い始めた(サブカルチャー雑誌時代の)『宝島』に広告を出していた、インディーズ専門店に通信販売を申し込んだ。

そして、レコードが届いた。胸をときめかせながら、緊張のおももちで「ボアダムズ」の『恐山・・・』のレコードに針を落とした。しかし、そこから聞こえてきたものは「ギャー」という叫びや、「ピチャピチャ」との水道の音など、わけのわからないノイズばかりだった。

もちろん、当時の私にはさっぱりその意味が理解できなかった。
その時の私のインディー理解とは、「インディー」=「面白い、アホな歌詞」という方程式であった。そういうものだけを期待していたのだ。

まったくブルーだった。だって、なけなしの金による決死の通販が失敗だったのですから。

【六】
そして、その「カステラ」を教えてくれた友人ハセベ君が、私が「ボア」をもってはいるが気にいっていないことを聴きつけた。ハセベ君はそのレコードを交換しようとの話を持ちかけてきた。もちろん、話にのった。

「何か面白い歌詞のやつと交換してくれ」と頼んだ。ハセベ君は「ならば、『ボヨヨンロック』(「まんが道」。大槻ケンヂ・内田雄一郎・ジュンスカの宮田和弥と森純太のユニット)はどうだ」といった。

題名からしてグッときたし、即トレードを了解した。そして、取り引きが済み、『ボヨヨンロック』が手元に届いた。CDをセットし、聴いた。

曲の冒頭から「ボヨヨ〜ン」と大槻ケンヂが叫ぶ。「むむむ。望んでいたのはこれだな。」と冷静ながらも感激した。しかし、そのインパクトは刹那の喜びに終わってしまうまでのものでしかなかった。

このトレードが私における、悔やんでも悔しすぎて後悔さえもしたくない一枚であること、若気の至りであることは言葉を使うだけムダである。


以下続く
■ニューエストモデル
■ジャム
■スモールフェイシズ
を予定

 

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