集盤ログ:松田聖子「風立ちぬ」

一度しっかり向かい合ってみようと思っていた松田聖子作品のはっぴいえんどメンバー… とりわけ大滝詠一仕事。
1981年リリース「風立ちぬ」はA面を作曲・編曲を大滝詠一、B面は1曲をのぞき鈴木茂編曲。
詞は全て松本隆。
A面は「ロンバケ」制作直後の仕事で、曲もサウンドもあまりに直結でびっくり。「いちご畑〜」が「FUN×4」と相対することが知られるように、収録5曲が全て「ロンバケ」曲とシンメトリーとなるよう書き下ろしたと大滝さんが発言しています(「レコーディングダイアリー2」 P213)。
このアルバムの制作の直後「トライアングル2」に着手していて、ここでもこのシンメトリー方式を採用しているとのこと(同・P220)。
この時期、大滝さんは「ロンバケ」で自身の楽曲制作のフォーマットの確立を自覚されていたのですな。
歌い手松田聖子の表現力のすごさにも今更ながらグッときます。
しかし、聖子の全盛期の小学生時代〜10代。
恥ずかしながら己を突き動かすのはリビドーであり、私は聖子からその刺激を感じなかったのです。
でも小学校低学年の頃、雑誌「明星」だか「平凡」に載っていた住所(事務所? ファンクラブ?)宛にファンレターを出したのです。
あれはなんだったんだろう。
もちろん聖子から返事などはなかった。
で。
「あなたにジミー・ペイジを重ねました」
みたいなことを熱く書いたと思う。
しかし、住所は一体なにを見て郵送したのか、不着で手紙が戻ってきたのを妹に見つかり、非常に恥ずかしい思いをしたことを覚えている。今振り返ればなぜ、その時にそんなに己を恥じたのかが不思議に思うのだけれど、フロイト風に言うならば、ロックへの目覚めとリビドーの顕在化を恥と感じたのであろう(笑)。
はて。
私は一体なんの話をしているのだろうか…。
10代の頃、私は松田聖子にはいわゆる『ぶりっこ』イメージの嘘くささからの苦手意識がありました。
なのでいまだ続く明菜執着なのでしょう。
しかしこの時期の聖子は、フィル・スペクターが関わったロネッツなどのアーティストのように、監督が求める演出を持って、歌で世に己を放った媒介者のスターだったのですな。
それから数十年。
歌い手松田聖子と相対してみることにします。
楽しい。





