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ヒロセ
(フリーボ ドラム) masahito@pop21.odn.ne.jp


〜前夜〜
多くの人がやっていたように、僕もラジカセをTVのスピーカーにくっつけて歌謡曲を録音しました。その小学生当時はトップテン、ベストテン全盛。僕はどっちかといえばトップテン派(放送時間が8時でベストテン より早く、司会のコンビもやや子供向け)。

アイドルにはあまり興味なく(今の方が興味ある)、どちらかといえばニューミュージック寄りの曲を好みました。人並みですが、やはり寺尾聡が一番好きでした。「ルビーの指輪」はもちろん、「SHADOW CITY」も「出航(SASURAI)」もいい曲でした。11週連続1位とかで特別に歌ったラテン調のキメがイカす「HABANA EXPRESS」、『カンパリのグラス空けてしまおう 君に酔ってしまう前に』なんて歌詞の「渚のカンパリ・ソーダ」も印象に残っています。

関係ないですが、トップテンの司会、郁恵ちゃんから石野真子にかわってから、石野真子と離婚してそんなに間もない長淵剛が「もうすぐトップテン」かなんかで出た時があって、子供ながらにちょっとドキドキしてしまいました。
とにかく意識的に音楽を聴くようになったのはこの頃です。


■クリエイション / 「ロンリーハーツ」
小学校低学年の頃、ベストテン、トップテン(どっちかといえばトップテン派)のチャートにも入ってかなりヒットしたシングル。
幼児体験としてならポンキッキでのビートルズっちゅうのがあるけど、どっちかといえばそれは、楽しくて親しみやすかったというだけで、何となく好きだったけど、カッコイイーとかそういう感情は無かったと思う。

ということで、今思えばロックな感じにカッコイイーと初めて反応したのは、この曲な気がする。で、初めて自分で意識的に買ったレコードもコレ。
ユニゾンぽいキメが入ったりして、なかなかカッコイイんですが、当時にしても多分ちょっとオッサン気味のアダルティーなロックなので、小学生とはかなり不釣り合い。
それでも放送委員会にリクエストしてお昼の放送でかけてもらったりしました。 シングルのB面は英語ヴァージョンで、初めて意識的に聴いた英語ロックでもあるのです。
しかし、その後は冴えない奴だったので、中学校1年ぐらいでみんなカジャグーグーとかカルチャークラブとか言うようになったときにもなんのことかさっぱりわからず、なんで外国の曲知ってるのかが不思議でした。


■吉川公司(字忘れた) / 「モニカ」
で、その中学時代にヤンキーのクラスメイトがある日放課
後の教室でかけてたのが(もちろんカセットテープ持って来るのは校則違反)、この「モニカ」の12インチヴァージョン。確かあの「セックス、セックス」 って聞こえるところが、「セセセセセッ」とかそんな感じにテレビとかで聴けるのとは違う、なんか変でカッコイイ感じにされているのでした。

当然冴えなくて12インチなんて知るわけもない僕は、「コレどうしたの?」とヤンキーに聞き、そこで初めて「貸レコ屋」の存在を知りました。
誕生日にモノラルのラジカセを買ってもらい、相模原駅前の今はなき「麗光堂」(字ちがうかも。レイコウドウ。レコードだから。)に入会、オフコース、YMOなどに始まり、友達に教えてもらってビートルズを聴き、ようやくMTVロックも聴くようになりました。ただ運動系の部活だったので「ベストヒットUSA」など割と夜遅い番組は疲れて寝てしまうのでなかなか見れませんでした。
中学時代の深夜番組体験って、のちに(少なくとも高校で)冴えた奴になるか冴えない奴になるか、結構重要なポイントだと思いません?


■SEX PISTOLS / 「THE BEST OF SEX PISTOLS」
中3になって部活も引退の頃になると、マジメな僕も多少余裕が出てきて、学校帰りに部活の親しい友達の家によって(校則違反)遊ぶようになりました。
その友達のお兄さんがロック好きらしく、色んなレコードやエレキギターを持っていて、友達はその中から1枚取り出し、さらにそのレコードに合わせてギターを弾きながら聴かせてくれました。「アナーキー・イン・ザ・UK」です。
ここでポイントなのが、聴かせてもらったアルバムが「勝手にしやがれ」ではなかったことです。僕が聴いたのは「THE BEST OF...」だったので、初PISTOLSが「アナーキー〜」だったのです。
『ジャジャジャジャジャジャジャジャジャーン』という単純きわまりないこのイントロは、友達が一緒にエレキを弾いてたことこともあって、冴えない中坊の僕にはものすごいインパクトでした。それに変なアヒルみたいな声。
今思えば生々しい激しさはもちろん衝撃でしたが、その激しい演奏と変な声のバランスがとてもポップに聞こえたような気がします。それに演奏も激しいと言うより、意外にシンコペしてたりしてポップでカッコイイんですよね。

この体験で、普通のよく流れてるような音楽は軟弱、みたいな間違った認識が自分の中に芽生えた気がします。


■ラフィンノーズ / 「ラフィンロール」
そんな体験から数ヵ月後、夜のヒットスタジオにラフィンが登場します。
古館とかと(司会もう一人はもうGWINKOだったかなあ?)どんなやりとりをしたか覚えてませんが、演奏中チャーミーはカメラに向かってツバを吐きかけたのです。なんかスゲエ!!とバカなので思ってしまいましたよ。

その後(中3の12月1日、なんか覚えてる)早速、例の麗光堂へ行き、その「LAUGHIN’ROLL」をRUN DMCの「RASING HELL」と一緒に借りたのです。
この後に、上柳マサヒコのポップン王国でブルーハーツの「人にやさしく」を聴いて初めてディスクユニオンに行って初めてインディーズっちゅうのを知ったりして、高校に入学。キャプテンレコードとかビートパンクブームにまんまと乗せられたまま、ほとんどの高校生活を過ごしました。


■ザ・ニューエスト・モデル / 「SOUL SURVIVER 」
ビートパンクに明け暮れた高校時代でしたが、さすがに高2の終り頃になると、タテノリとはちょっと違うものも多少は聴くようになった。まあ、スライダーズとかハノイ程度ですが。その頃テレビ東京で深夜にやっていた、「ez」という音楽番組(プロモビデオではなく、独自に撮影したライブや、スタジオライブの映像を流し、しかもカメラワークとかライティング等、かなり凝っていて面白かった。ソニー系の番組)で、ボ・ガンボスの常盤座でのライブを見、軽いショックを受けました。祭のような楽しさと熱気、セカンドラインを元にした激しくシンコペするリズム、パンク系ばかり聴いてた時には入ってるだけでクソだと決めつけていたキーボード類のカッコよさ。

これで自分の耳が少し柔軟になりました。この経験を経て、次に耳に入ってきたのが、メジャーデビュー直前のニューエスト。もちろんインディーの頃から話題にはなってましたし(ソウルパンク!)、多少は聴いた事もありましたが、多分オルガンの音がネックで、そんなに気に止めてはいませんでした。
しかしこの時、ラジオで改めてニューエストのスタジオライブの模様を聴くと随分自分の中で印象が変わりました。その時一番印象に残った曲は「青春のカゲり」(カゲりの字がない)。この曲は大まかに、ハードコア的な2ビートのたたみかけるようなパートと、テンポダウンし一転してサイケデリックなオルガンが印象的な間奏パートの2つで構成されていて、単純ではあるけど、一筋縄にはいかない異様な雰囲気を感じました。この後しばらくして出た、メジャーファーストアルバムは、最初買おうと思っていたケンヂのインディーズベストをやめて購入。色々な音楽がゴチャっと強引にまとめあげられたようなそのサウンドに衝撃を受けると同時に、改めて「色々な音楽がある」ということに気付かされました。雑誌に載っている中川推薦のアルバムを聴いてみたりすることで、一気に音楽の守備範囲が広がり、大学入学後現在までの、音楽体験の元になる出来事でした。

 

(C)TONSEI RECORDS